CRIC だか、どこかの著作権管理団体で、フリーウェアは「一般に」売名行為、市販ソフトの無料体験版、利用者が増えたときに有料化するための様子見であると定義がなされたことがあった。開発者、とりわけ真にソフトウェアが自由であることに尽力している人々にとって、これは考えられぬ冒涜であった。 そも、ソフトウェアの開発に限らずあらゆる創作の世界では、先人の手による成果に依拠せずして、仕事を成すことはできない。美術を表現するときに染料を使うことがほとんどだが、この染料を用いるという発想は、明らかに先達によるものだ。それは、音楽にしても文芸にしてもいえ、既存の技術を知らずして何かを成すことは、不可能であろう。こと、ソフトウェアの開発においては、必要とされる知識量が膨大であることもあって、早くから開発をより簡便に行うため、ライブラリと呼ばれる、再利用できるように作られたプログラム集が公開された。例えば、画面上に文字を表示したい場合など、本来は込み入ったプログラムを書いて初めて実現できるのだが、こうしたライブラリを用いれば、格段に簡単に実現できるようになる。与えられた文字を表示するだけのプログラムが、ライブラリに含まれているからである。別の見方をすると、こうしたライブラリを一切用いずにプログラムを書くことはほとんどできないといって良い。あるひとつのライブラリは、他のもっと低水準の(もっとハードウェア寄りの)ライブラリに依拠して作られ、複雑な依存関係が形成されていった。互いに貢献しあうことで、より巨大で複雑なソフトウェアを、より小さく簡潔に作ることができるようになったのである。ライブラリの成果物であるソフトウェアは、だから、コミュニティに対し無料公開された。 このやり方が崩れたのは、恐らく、ソフトウェアは商品であると考え出した、ビジネスマンが登場したことによるだろう。実際、ソフトウェアの開発は、より多機能に、より便利になるにつれ、趣味のひとつとして掲げるには荷が勝ちすぎる仕事になりつつあった。ソフトウェア開発は、個人的に作られる規模と、そうでない規模とに、事実上分けられることになった。その最たるものは、ライブラリをとりまとめ、開発者の違いによる取り扱い方の微妙な「方言」を補正する仕事である。大量の人員を必要とするこの仕事は、そのライブラリを用いる、あらゆるソフトウェアの基幹業務であり、重要であった。と同時に、ドル箱でもあった。 ソフトウェアが商品化するということは、商品として成立するため、既存の技術を特許として登録したり、他者によるソフトウェアの解析や機能向上に対して厳しく制限したりすることになる。商品から学ぶことが違法とされることになり、成果物から学ぶことがほとんど不可能になる。この動きに反対する開発者らは、相互扶助の観点から、ソフトウェアは自由であるべきとし、オープンソース運動を展開した。フリーウェアとは、フリーであること、つまり、商業という、自らの資産を増大せしむことのみを定言的命法として実践することへの反定立なのである。 私がソフトウェアを無料公開している理由は、ここで書いたほど大層なことではない。しかし、しかし、だ。将来の布石を行おうという考えに基づいていないことだけは確かだ。だから───フリーウェアを宣伝のためだと割り切る考え方を見過ごせず、こんな文まで書いてしまうんだ‥‥。 うん、敬愛している作家の IRC での一言があまりに悔しくて。読み返すと詰まらない愚痴でしかないね、でも、やっぱり、悔しいよ‥‥。
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